高齢者の運転を止めさせるには?①ー高齢者心理から考える
こんにちは!葉菜です。
最近、高齢者ドライバーによる交通事故のニュースを耳にする機会が増えましたね。
年齢を重ねていくと、どんなに健康に気を付けていても身体能力・認知能力は落ちてきます。生命の必然ですね。その点で考えると、車の運転はある程度の年齢(特に高齢者)になったら、厳しく適性を見ていく必要があるもの、と言えるかもしれません。
ただそう言われて、「そうですね」とすぐに手放せる方は少ないと思います。
なぜ手放さないか…今日は高齢者ドライバーの交通事故について高齢者の心理の視点から考えてみたいと思います。
キーワードは「老いの他人性」
人生の4苦とされる「生・老・病・死」。
この4つはどの年代も関係するものですが、特に高齢者の方においては特に強く意識されるものだと思います。しかし、そもそも「何歳から高齢者」なのでしょうか??
調べてみると「65歳以上」のようですね。これは国連の世界保健機構(WHO)が定めた値です。また日本でも「65歳以上を老年人口」として、総人口に対する比率などを出しているようです。
しかし最近は、高齢者の年齢を上げるべき!いう声も挙がっているようです。
実際、自分自身のことを高齢者と思っている65歳以上の方がどれくらいいらっしゃるでしょうか?私個人の意見ですが、高齢者というには若いハツラツとした65歳以上の方はたくさんいらっしゃると思います。そして当のご本人も実年齢はともかく、お気持ちの中では違和感を持っている方も多いのではないでしょうか?
口では「もうすっかり年取っちゃって、おいじちゃん(おばあちゃん)になっちゃったよ~」と言いながら。
この違和感。
「年齢は70歳超えているけど、まだまだ私は大丈夫!」という気持ちの感覚。
これを「老いの他人性」と言います。
「いくつになっても“Old”は“those old people”であり、自分のことではない」感覚です。
(心理学者・社会学者のスタウド“The Wisdom of Experience(1981)”の中の言葉です。)
この「老いの他人性」という心理、皆さんはどう思われますか?
老いという現実を受け止めきれていない、受容できていない…と思われるでしょうか?
この心理は、高齢者ドライバーの免許返納が進まない理由の一つである、と私は思っています。
しかしこの心理は、一方で高齢者の方にとって
「これから生きていく上で必要な心の持ちよう(防衛)」でもあると思います。
どういうことか、その理由について明日つづきを書きたいと思います。