一橋大学ロースクールで起きたアウティングによる男性自殺について思うこと。
こんばんは!葉菜です。
今日は先週報道されたこのニュースについて書いてみようと思います。
昨年8月に一橋大学ロースクールで起きた、アウティングによる男性自殺の件です。
遺族がゲイであることを暴露した同級生と適切な対応をしなかった大学を相手取り提訴、8月5日東京地裁にて、第一回口頭弁論が行われました。
アウティングとは?
自らの意思で同性愛者であることを公表することをカミングアウトと言いますが、他の人間が当事者の意思に反して同性愛者であることを暴露することをアウティングと言います。
事件概要
自殺をした男性をAさんとします。友人のZさんに好意を抱いたAさんは、ある日Zさんに告白しました。
その時のZさんの答えは「付き合うことは出来ないけれど、友達でいよう」だったそうです。
それを聞いてAさんも、今まで通り友人としてAさんに接していたそうです。
それで終わればよかったのですが・・・。
Zさんは約2か月後、Aさんも含んだ同級生9名のグループLINEにこんなメッセージを流しました。
「おれもうおまえがゲイであることを隠しておくのムリだ。ごめんA」
そのメッセージを見たAさんは
「たとえそうだとして何かある?笑」
などと返信をします。
でも心の中では非常に大きく傷つき、以後精神的に非常に不安定になってしまいました。
勉強も全く手につかなくなり、Zさんへの怒りや悲しみなどの感情からZさんと顔を合わせる授業にも出られなくなってしまったと言います。
また心療内科に通ったり、大学のハラスメント相談室や教授、職員、そして保健センターにも相談に行っていたそうです。
大学側もその都度対応していたようですが、本人を守ったり救済できるような対応ではなかったのでしょう。
昨年8月下旬、学校構内で自ら命を絶ちました。
大学側と暴露した友人Zさんの証言
遺族側は大学側と暴露をしたZくんを提訴、300万円の損害賠償を求めています。
大学側は「対応に問題はなかった」と。
暴露したZさんは「恋愛感情をうち明けられて困惑した側として、アウティングするしか逃れる方法はなく、正当な行為だった」と
主張しているそうです。
大学側の対応で思うこと
対応の不備が指摘されていますが、私個人もそう思います。
その都度相談には乗っていたようですが、その場対応の感が否めないのかな…と。
なぜしっかりした対応ができなかった。それは
Aさんのアセスメントがしっかりできていなかったから
と言えるのではないでしょうか。
正直、自殺を考えるほど追い詰められているとは思っていなかったのかな、と。
友人Zさんについて思うこと
友達だと思っていた人から突然告白されること…それはとても驚くことだったと思います。
身近に同性愛の人がいたら別ですが、そうでない場合は驚くという反応も理解は出来ます。
戸惑う気持ちも理解は出来ます。
しかし、その気持ちの解消方法は他にもあったのではないでしょうか?
それこそ保健センターや学生相談所などを利用するのも一つだったと思います。
友人に暴露する、しかもLINEに流すということ。
個人的にはスケープゴートとも言えるのではないかな?と感じています。
なぜZさんは、同級生に暴露したのか。
私としては、Zさんは一人で抱えることが出来なかった
と感じています。
告白された後、どうAさんと付き合っていったらよいか…
告白された事実をどうとらえたらよいのか…
Aさんが同性愛者であることをどう考えたらよいのか…
様々な感情や思考がうごめき、気持ちがざわつき、最終的にはキャパシティーオーバーになってしまったのかな、と。
しかもこのことを、現実を共にする同級生と共有しないとやっていけなかったのかな、と。
相談所とか保健センターとか、その場では話せるが、現実生活では今まで通りに過ごさなくてはいけない状況では、Zさんが耐えられなかったのかな、と。
つまり周囲を巻き込み、自分の気持ちのざわつきを正当化しないと、自分が保てなかったのかな、と感じました。
それくらいZさんにとっても衝撃的な出来事だった…とも言えますし
Zさん自身の心の脆弱性が出てしまったかな?とも感じています。
ただいくら衝撃的過ぎるとはいえ、Zさんはもう少しAさんのことも考える必要があったと感じます。自分の秘密を他人に暴露されたらどんな気持ちでしょうか。
また、大学側も自己対応不能に陥っているZさんへの積極的介入を検討しても良かったのではないか?と感じます。
同性愛を含んだLGBTをもっと身近な存在として考えることの必要性
今日、こんなニュースがありました。
ブラジルでは同姓婚が合法なのだそうです。
最近日本でも、LGBTがよく聞かれるようになりました。
企業でも対応を積極的に検討しているところが増えてきたように思います。
社会人の中では、少しずつ理解が広まっているように思います。
個人的には、小学生から大学生までの未成年へどのように教育していくか…
これがすごく重要だと感じています。
小さい頃は特に、ちょっとした“違い”がいじめの原因になります。
“男の子なのに女っぽい”とかそういう理由だけでいじめになったりします。
まだ幼いので多少は仕方ないところもあるかもしれませんが、その時に周囲の大人がどう対応するのか、どういう姿勢を見せるのか…
これがとても重要かと。
私自身、心理士として、また一個人としてどう考え、どう接していきたいか、またどう子ども世代に伝えていくか…考える機会になりました。
判決がどう出るか、とても気になります。
何より、Aさんのご冥福を謹んでお祈り申し上げます。
今日もありがとうございました。
葉菜