臨床心理士hanaのひとり妄想diary☆

総合病院勤務です。世の中の出来事を、いち臨床心理士の視点からいろいろ妄想しつつ、考えてみたいと思っています。

やっぱり男性は”若い女性”が好きです!ーそこから考える女性の生き方?-

こんばんは!葉菜です。

このタイトルを見て

「私は違う!」と思った男性もいらっしゃるかと思います。

実際にそうではない男性がいることも確かです。

そんな男性には気分を害してしまって、すいません。

これをみた女性の中には

「だから男性は・・・」とがっかりされた方がいるかもしれません。

しかしこれは生物学的に「変えようのない事実」であり、これを理由に男性を責めても意味はありません。

最近、「女性はやっぱり若い方がいい」とそれはもう、スッキリはっきり述べる男性(30代後半)に久しぶりにお会いしたので(笑)、このことについて取り上げようと思います。

 

 

女性が若ければ若いほど生殖能力があるから

若い女性が好かれる理由、それはこの一言に尽きます。

これは男性が意識しているというよりも、本能レベルでインプットされていることのようですね。男性が高齢になればなるほど、さらに若い女性に惹かれるそうです。

気持ち、わからなくはないです。

最近20代前後の若い男性女性を見ると、キラキラしていていいな〜って葉菜も思いますもん(笑)

女性にとってはちょっと残念に聞こえますが(葉菜も女性なので気持ちはわかります)、しかし現実、女性の生殖能力は20代をピークにどんどん低下していき、36歳を越えると一層妊娠力が低下していきます。この辺りは最近よく言われていることですね。

産婦人科にも出入りしている私ですが、これからの女性は”自分の妊娠出産プラン”を20代のうちからしっかり考えておいた方がいいと感じています。

20代は妊娠しやすいですが、30代になると妊娠しにくくなる。。。

 

避妊などで妊娠をコントロールしていた立場から、妊娠に翻弄される立場(コントロールできない)になって、苦労される方がたくさんいます。

 

 

老いても魅力的な女性で居続けるためには

少し話が脱線しましたが、本題に戻ります。

先ほど紹介した男性によれば

「20代は若さという最大の武器を存分に利用すべき。ただその武器はいつか無くなるので、同時並行的に自分の能力を伸ばす努力をしっかりすること。」

が魅力的な女性として生き残っていくために必要、と言っていました。

 

まぁ、なるほどその通り!って感じですね(笑)

 

あとこれはよく雑誌にも書いてありますが、男性は女性に

いつまでも”キレイで居続ける努力”を求めているそうですね。

若さはなくとも、”女性らしく”あり続けることが、新たな魅力の一つになってくるのかもしれません。

 

男性を意識した価値観や態度に疑問を持たれる女性がいるかもしれません。

しかし世の中は男と女しか居ないし、人は一人で生きていくことが出来ません。

ならば、どうやったら

”たくさんの男性に助けてもらいながら、いかに自分は好きに楽しく生きていけるか?”

をメインテーマに人生を考えてもいいと思っています。

そのためには努力も必要です。私も頑張らないと(笑)

 

心理学にはそんな楽しく賢く生きるためのヒントがたくさんあります。

随時紹介できたらと思っています。

今日もありがとうございました!

 

葉菜

 

 

 

中学生の自殺についてー広島中3自殺の事件からー

こんばんは!葉菜です。

昨日、昨年12月に自殺した中学3年生の男子児童のニュースが一斉に報道されました。

誤った記録をもとに進路指導が行われ

私立高校への推薦が出来ないと親に伝わった日に彼は自殺したそうですね。

彼にとって”親に事実が伝わること”がどういうことを意味していたのか…

自殺しなければいけないほど避けたいことだったのか…?等々…

心理士としては気になるところですが。。。

 

とにかく非常に痛ましく、悲しい事件です。中学校の責任は非常に重たいですね。

 

今日はこの事件を受けて、中学生の自殺企図について考えてみたいと思います。

 

救命救急センターには時々、15歳前後の中学生が搬送されます。当院に搬送されてくる生徒さんの多くは進路や勉強のことで親と大喧嘩して衝動的にマンションから飛び降りたり、薬を過量服薬して救急搬送されてきます。

臨床心理士という職種上、そんな彼らと話をします。

 

彼らと話をしていて思うこと・・・

①口は一人前だけれど、中身は成長途中の子どもである

事実関係を非常にわかりやすく丁寧に話をしてくれる子がいます。大人の私が関心してしまうほどに。でも肝心の”自分の気持ち”の話になると、突然言葉に詰まることがあります。気持ちを問うと途端に”なんとなく”や”うまく言えない”とあいまいな言葉が増えてくることが多い気がします。これはまだ、自分の気持ちを適切な言葉で伝えていく力がしっかり身についていない、まだまだ成長過程の年代である故だと思います。

特に中学生は多感な時期で、様々な考えや感情、価値観が心の中を去来し、”疾風怒濤の時期”と表現されることもあります。そんな非常に難し時期なので、気持ちを言葉にすることの難しいさは尚更でしょう。

つい一丁前に語る姿や「うるせー!」などの暴言を聞くと、相手の大人がまだまだ成長過程であることを忘れたり本気で怒ったりしたくなりますが、表に出ている部分だけでなく隠れている裏の部分(子どもの部分)をしっかり考えながら接しなくてはいけないな…と感じています。

 

②周りに大人はたくさんいるのに、相談しない彼ら

あまり周囲の大人に多くを語らず、自殺未遂(既遂)する中学生が多いと思い気がしています。なので「なんであの子が?!」と強いショックを隠し切れない親御さんや先生はとても多いです。ただ一方で行動に出ている子ども側は、自殺企図をするまで追い込まれているわけで…このギャップというか温度差が気になっています。

この温度差は理由はともかく、

”相談してもいいかなと思える大人が彼らの周りにいなかった”

と言えるのではないか...と感じてしまいます。

 

相談しない理由はたくさんあるようです。

よく聞くのが「迷惑かけたくなかったから」という言葉。

でもこの言葉ほど、言葉通りにとっては危険な言葉はないと感じます。

 

話を聞いていると、相談した後のことを彼らはとても気にします。相談したことで結果的にさらに大きな問題に発展するのではないか、もっと怒られるのではないか、良くないことが起こるのではないか…それが怖くて黙って一人で悩み続けているようです。

以前「相談したら両親が自分のことで喧嘩する。そんな姿は見たくないから。」と語ってくれた子がいました。なかなか難しいな…と思った瞬間でした。

 

大人が子供のためにと、良かれと思って起こす行動が

時としては逆に子どもを苦しめる

これを私たち大人は、しっかり認識していなければいけないといけないですね。

 

いじめ、友人や異性との関係、家族との関係、そして進路の問題。

中学生の悩みは尽きませんし、自殺のきっかけとなりえる出来事はいくらでもあります。

 

大切なのは、彼らのその苦しい局面を乗り切るために

”自殺という究極的で最終的な手段を

選ばなくて済むようにすること”

ではないかと思います。

そのためには周りの大人は何ができるか。どういう大人であるべきか。

たくさんの大人がいる中で、子供たちから”相談してみたい”と思ってもらえる大人になるには?

 

疑問や課題は山積です。

私自身まだ、答えは見つかっていません。

 

しかし思うこと

それは繰り返しになりますがまず

①大人側が”子どものために”と勝手に考えて行動をとること

は今一度考え直すポイントだと思います。

結果的に子どものためにならないこともあるからです。

 

そして

②彼らの味方で居続けること

一筋縄ではいかない彼らの悩み。長期戦です。

息切れせずにじっと味方で居続ける、そんな覚悟と持久力が必要ではないかと感じています。

 

今日もありがとうございました☆

 

葉菜

 

 

モンスターファミリー?が増えてきている?気がする・・・?

こんにちは!葉菜です。

今日は、日々臨床に携わって感じる雑感を書きます。
あくまでも個人的な雑感ですので、ご理解の程お願いいたします。
 
最近思う事
それは「モンスターファミリー(?)」が少しずつ増加している???
と言うことです。
「モンスターファミリー」は葉菜の造語です。
定義としては、病院に対して非常に攻撃的なクレームを言い続ける(これを「モンスター化」と勝手に名付けました)入院している患者さんの「子ども」に当たる大人(30代~50代くらい)になります。
年齢は30代~50代ですが「親の子」なので「モンスターチルドレン」になるかな?と思ったのですが
既にその言葉は別の意味としてあるようなので、今回あえて”チルドレン”を”ファミリー”にしてみました。
具体的にどういう事か、ちょっと書いてみます。
 
病院は入院中の患者さんに対して、病気や怪我の治癒、疼痛マネジメント等のため、様々な処置を行います。
また入院とは一定期間、病院で生活するということでもあるので、看護師さんをはじめとしたスタッフのサポートの元で日常生活を送っていきます。
 
当たり前ですが、入院生活は楽しいものではありません。
辛い治療もたくさんあるので、「治療を止めたい」とおっしゃる患者さんはとても多いですし、あまりにも辛すぎて「もう死にたい」とお話される患者さんもいます。
また入院生活のイライラや病気になったストレスを、看護師さん等のスタッフにぶつける方もたくさんいます。
 
 
病院のスタッフは患者さんの辛い気持ちをある程度理解しているので、多少の暴言や暴力(手や体を叩かれる)では何も言いません。むしろ、患者さんの気持ちを理解するきっかけとして、捉えていきます。
しかし、やはり度が過ぎてくるとそこは人間なので、とても辛い気持ちになります。
病気がそうさせていると理解していても、やはり「お前は医療者失格だ!死ね!」とか言われると、とても辛いです。
そんな時には、「痛いので止めて欲しい。」「その言葉は傷つくので、止めてほしい。」と伝えることもあります。
 
 
そんな患者さんと医療者のやり取りを見て、「こんな暴言や暴力を吐かせるくらい患者を変えさせたのは、この病院だ!」と怒鳴り込んでくるご家族がいます。一時的なら理解できますが、継続的に・・・です。決して多くはないですが、少なくもない気がしています。よく若い看護師さんが対象になってしまうのですが、看護師さんが思わず泣き出してしまうまで言い続ける方もいます。
 
 
モンスターファミリーの心の内とは?
 
 ご家族側の気持ちを考えてみると、まずは親の老いや死が近づいている現実を受け止めきれない側面があるのだと思います。
親の老いや死は、子どもにとっては本当に辛いものです。
誰にでも平等にあるもので、普通に考えたら親が先に死ぬことは自然の摂理
理屈では分かっていも、実際そういう場面になると非常に混乱しますよね。
親が衰弱していく姿を見ているだけでも十分つらいのに、病気によっては性格面も大きく変化してしまいます。
こんなことをする親ではなかったのに・・・・と思うくらい親が変わってしまうことは、見ている子どもとして胸が締め付けられる思いになります。
葉菜も人の子なので、とてもよくわかります。
 
ただモンスター化する方の場合、理由はそれだけではないのでは?・・・と、葉菜は感じてしまいます。
 
 
ここからは、自分の事を棚に上げて・・・なのですが(苦笑)
 
精神的に親離れが出来ていない子ども(大人ですが)が
増えてきたから?
ともちょっと感じてしまうのです。
 
先ほども述べましたが、そのモンスター化が一時的なら理解できるんです。
「それくらいご家族にとってショックな出来事だったのだろう」と。
 
しかし、事あるごとに暴言を言い続けるご家族がいることも事実です。
 
 
そういう意味で葉菜は、親の老いや死への過程という出来事を通して、その方(大人)の心の自立度合(親離れの程度)が見えてくる気がしてならないのです。
 
 
最後になりますが、患者さんやそのご家族が怒って当然の場面があることも事実です。
医療ミスもありますし、同業者から見ても患者さんへのその態度はまずい、患者さんやご家族が文句を言うのも当然!という場合もあります。
したがって私達医療職の人間は、患者さんやそのご家族の怒りが正論なものかどうか、客観的にしっかり見極める、自身の気持ちに引っ張られない力は必要です。
また多くの患者さんやご家族が、我々医療者と協力的に歩んでくださいます。
 
 
命という、唯一で絶対的なものを扱う医療現場。
しがないイチ心理士ではありますが、患者さん・そのご家族と医療者がどのようにしたら協力的に関係を築き、それが維持できるのか・・・現場の人間として考え続けたいと思っています。
 
 
今日もご精読、ありがとうございました♪
 
葉菜

野々村被告の姿から考える、心の「シャドウ」と向き合う大切さ

こんばんは!葉菜です。

今週月曜日に野々村竜太郎被告の第二回公判が行われましたね。

相変わらず?それ以上の「記憶にございません」姿勢を貫く被告の姿に、検察側がイラッとしているようでした。ある意味、野々村被告ペース状態です。

 

1月27日のブログでも書きましたが、おそらく彼が全面的に謝罪に転ずる可能性は非常に低いと思います。自分の非(1月27日では「黒い駒」で表現)を認められるほど心の耐性が備わっていないのだと思います。今を、これからを生きるためには今の防衛を続けないとやっていけないのだと思います。

 

 

さて話は少し変わって、みなさんは自分の非や悪の部分、意識されていますか??

野々村被告のように自分の非について「白をきる」なんてこと、ありますか?

 

臨床心理学の世界で非常に有名なユングという人は、この部分を「シャドウ」と名付けました。「自分がなりたくないもの、生き方」とも言えるでしょうか。

今日はこの「シャドウ」について少し書いてみます。

 

心のシャドウとは?

人は誰でも心に、「否定したい自分」を持っています。

本当はこうしたくないのにしてしまう自分、かっこ悪い自分、人がしたら非難するのに実は自分もしている…とか。これがシャドウです。

 

この自分のシャドウ、気づいていることがとてもとても大切なんです。

なぜなら気づいていないと、無意識に周りに大きな迷惑を掛けたり傷つけてしまうからです。

 

 

ではどんな迷惑をかけてしまうのでしょうか?

一つ目は「投影」という心の動きで姿を現わし、人間関係が揺れます。

 

時々人間関係の中で、どうしても好きになれない人、なんだか気に食わない人っていませんか??その相手は、別の人は気にならないのに、なぜか自分だけが気になるということもあると思います。

この「投影」という心の動きは、自分のシャドウ(否定したい部分)を他者の中に見つけ、それを他人の心と解釈し、相手を否定したり攻撃したりすることです。

 

例えば、AさんがBさんのことを、「Bさんは私(A)に意地悪をしてくる」と言ったとしましょう。実際のことかもしれませんが、例えばAさんがBさん以外の人、CさんやDさんに対しても「意地悪をしてくる」認識を持った場合、それはAさんの中にある、「他者に対する怒りや気に食わない感じ」という感情が投影されていると考え、つまりAさんの問題になるわけです。

これ、BさんやCさんたちからすれば、とんだトバッチリですよね。この様に投影から相手を理解すると、人間関係がギクシャクしてしまいます。実は自分自身の問題なのに。

 

また二つ目として、非常に逸脱した形で出てしまうこともあります。

最近の話題で言えば、清原容疑者の麻薬使用やキングオブコメディーの高橋容疑者の窃盗なんかが分かりやすい例でしょうか。

彼らは自分自身のシャドウを直視せず(できず)、それぞれ麻薬使用や窃盗という形で誤魔化してしまったわけですね。その結果非常にたくさんのファンを失望させたわけです。

 

この様に自分自身のシャドウを認識していないと、大変なことになります。

 

では、どうしたらいいか??

それはシャドウをしっかり認識し、コントロールすることが大切と言われています。

心理カウンセリングでは、とても大切なテーマとして扱います。

クライエントさんのシャドウを時間かけて明らかにし、どう向き合っていくかを共に考えます。

 

自分のシャドウを見ることはとても苦しいことです。「否定したい」ものですから。

でも恥ずかしいことではありません。みんな持っています。

しっかり認識し、コントロールする術を得られれば、穏やかな人生が送れると思います。

 

葉菜も自分自身のシャドウに向き合おうとしているところです。

かなり卑しい自分もいて落ち込みます。でもどうしてそういう気持ちになるのかしっかり考え、自分の中に沸き起こっていた怒りや悲しみが見えてくると、自然にシャドウの部分もマイルドになるように思います。

 

 

今日も今日とて、長々となりました。

ご精読、ありがとうございました☆

 

葉菜

マタニティーブルーに気づかない人は、意外に多い?!-マタニティーブルーの怖さー

こんばんは!葉菜です。

今週は暑い!?くらい暖かいと思ったら、一気に真冬の寒さに逆戻り・・・。気温ってこんなに変われるんだ・・・って感心するくらいの落差でしたね。

インフルエンザも大流行していますし、お互いに体調管理しっかりしていきましょうね!

 

さて今日は

「マタニティーブルー」

について。

臨床現場で妊婦さんとお話することがありますが、結構気づかない方もいらっしゃるので少しこれについて書いてみようと思います。

 

マタニティーブルーとは

「妊娠期間中や産後に見られる軽い抑うつ状態のこと」です

言葉自体はとても有名ですし、ご存知の方もたくさんいらっしゃると思います。

 

このマタニティーブルー。

気持ちの変化はあっても日常生活は送れる程度の「軽い抑うつ状態」の場合だとご本人も気づきやすいんですね。ちょっとイライラしやすいとか、落ち込むとかで、「マタニティーブルーかな?」なんて。

 

でもこれ、強く出る方もいます。そういう方が要注意なんです。

 

「強く出る」ってどういうことか?

 

落ち込み過ぎて自責的になり、「自分なんていない方が周りは幸せだ」とか思うようになったりすることです。「死にたい」や「消えたい」などとおっしゃる方もいます。

また焦りが強く出て落ち着きがなく、びっくりするような行動(衝動行為)に出る場合もあります。

 

こういう状態になるとご本人は、ご自分がマタニティーブルーだとは全く気づきません。気持ちの不安定さにどっぷり状態になるので、自分のことを客観視できなくなってしまうんですね。

 

こういう状態になったら周りの人がすぐに声をかけて、かかりつけの産婦人科や近隣の心療内科に相談してください。様子見もあまり効果的ではないと思います。早めの介入がポイントです。

心療内科と聞いて抵抗を示す方もいらっしゃると思います。そういう場合は、「気分の不安定さはホルモンバランスによるもので、あなた自身が悪いとか精神的な病気ではない。そしてあくまでも一時的に頼ってみるという意味。ホルモンに影響されすぎないようにご自身を調整してあげることが大切!」などと伝えてみてください。

 

個人差があるマタニティーブルーですが、性格傾向は影響してくるようです。

なりやすい方は完ぺき主義の方。しっかり頭で計画を立て進めていかないと気が済まない方は要注意です!

 

ホルモンって本当に凄いです。

本当に不思議だなって思います。

 

また日々の臨床で感じることを書いてきます。

本日もありがとうございました☆☆

 

葉菜

 

高齢者の運転を止めさせるには?③-関わり方の方法を考える

こんばんは!葉菜です。

今回は2日連続で、高齢者の運転について高齢者心理を踏まえて考えてみました。

改めて考えてみると、高齢者にとって車の運転とは

世間に対して「まだまだ現役である!」という証明書なのかもしれません。

 

しかし、危険なものは危険です。

今日はその最終回、関わり方の方法を考えてみたいと思います。

 

結論から言うと、とても難しく正攻法は「ない!」と言えると思います。弱腰ですいません・・・。

言われた側のプライドなども関係するので、本当に難しいと思います。

 

個人的に思っている解決法?(対応方法)をいくつか書いてみます。

ただ絶対的な効果は保障できません。ごめんなさい・・・!

 

高齢者ドライバーによる交通事故についてどう思うか、本人に聞いてみる。

→ご本人の考えが見えてきます。他人事なのか、少し自分のこととして考えているか・・・。

②「車の運転を止めてほしいと考えている」旨を、穏やかな口調で伝える。

→高圧的に伝えても、あまり効果はありません。逆に「馬鹿にして!」と逆効果になります。理由としては、昨日のブログに書いた心情があるからです。

 

③「高齢者だから危険」以外の理由も伝える。

→年齢は立派な高齢者でも、自分でそう思っている方は多くはありません。

 例えば・・・「一日でも長く元気でいてほしいので、たまには車じゃなくバスを使ったり歩いて行ってみたら?一日でも元気で過ごすには足腰が重要みたいよ。」とかでしょうか。

 誰でも自分の存在を認めてもらい、「一日でも元気でいてほしい」と言われて嫌な気持ちになる人はいません。なので、まずその気持ちをはっきりしっかり伝え、大切に思っている気持ちを伝えましょう。その上で、新たな提案(バスを使う、徒歩で行ってみる)をします。

その際、新たな手段で必要なもの(リュックとかスニーカー、買った荷物を入れるキャリーケースみたいなもの?)をプレゼントすると、気分も変わる可能性が高くなると思います。出来るだけご本人の好きなデザインやカッコいいものがいいと思います。

 

④周りも、車の使用を控える。

→車が必須の地域もあると思うので、難しいかもしれません。しかし周囲が利便性から車を使用していると、ご本人も中々手放す気にはならないでしょう。車以外の方法で移動し、そのメリットを伝えていくことも一つかと思います。

 

⑤「〇〇になったら、運転を止める」という取り決めをする。

→この〇〇は年齢でもいいですし、「車を擦ったら」等でもいいです。とにかく事故を起こさない保障はありません。「事故を起こしたらあなただけの問題ではない。家族だってものすごく迷惑。」ということをはっきり伝え、取り決め(契約)をするのも一つでしょう。

 

⑤一緒に出掛け、ご本人以外の家族が運転する。

高齢者ドライバーの中には、運転が面倒と感じていながらも代わりにやってくれる人がいないので運転される方もいると思います。ご本人と車との距離を少しずつ作っていき遠ざける作戦です。その代りご家族の負担が増えますが・・・。

 

⑥手荒い方法も、最終手段として・・・。

 鍵を隠す、車をもって行ってしまう・・・などの方法も、最終手段としてはアリかと思います。ただ親子関係が悪化してしまう可能性もあるので、あまり使いたくはないですね。

 

葉菜なりに考えてみましたが、いかがでしょうか??

 

関わりのポイントは自分に立場を置き換えてみて、どういう関わり(説得)だったら自分が運転免許を返納しようと思うか・・・という視点で考えることが大切ではないかと思います。

なぜなら相手の方は自分の事を「まだまだいける!」と自信を持っているわけですから、相手が高齢者であることは一度置いておいて、関わることが大切ではないでしょうか。

 

個人的なお話しですが、葉菜は父に⑤と⑥を使いました。今思えばもうちょっと優しく言えたのではないか…と反省します。親子ってどうしても感情がヒートアップしてしまいますよね…。父は観念して止めてくれましたが。

みなさんの「こんな方法がよかった!」とかあったら、ぜひ教えてほしいです。

 

今日もありがとうございました☆

高齢者の運転を止めさせるには?②ー老いの他人性という心理

こんばんは!葉菜です。

昨日の続き、です。

 

近い将来に「死」があるという現実

 「高齢者」になると、多方面で様々なものを失っていきます。「出来ていたことが出来なくなる・しづらくなる」身体的な側面だけでなく、定年になり職(居場所?)を失う、地位を失う、同世代の夫(妻)や友人が病気になったり亡くなる等です。

そして今までは「人の助けをしていた立場」から「助けてもらう立場」に変化していきます。

電車内で若い人に席を譲られる、重たい荷物に手こずって店員さんに助けてもらう、足腰が弱り、杖や手すりが必要になる…もう少し進んでくると、日常生活の基本動作「食べる、着替える、入浴する、排泄する等」でさえも人の助けが必要になっていきます。その先にあるもの、それは「死」です。

要するに、遠い存在の「死」が非常に身近なものとして感じられるようになっていきます。

 

出来ていたものが出来なくなる、あったもの(居た人)が無くなる(亡くなる)という体験は、やはりとても寂しいものです。なぜなら二度と元には戻らないからです。そして「死に向かって生きる」という現実を正面から受けいれて生きるということも、非常に辛いものではないでしょうか。

頭では理解できても、孫の顔が見たい、子どもが結婚するところまでは見届けたい、等年齢を重ねても、人間は常に生きる目的を見つける存在です。

高齢者ドライバーの方も免許返納が「一時的なもの」であれば、快く受け入れる事でしょう。しかし返納は「一生」です。

二度と戻らないものを自らの意志で手放すということ・・・それは

 

自分自身の力の限界を認めること

また一つ、自由を失うこと

老いを認めること

また一歩、終焉(死)に向かって進むこと…等

 

運転免許返納にはここまで意識して考えている方は少ないかもしれませんが、高齢者の方の非常に複雑な気持ちが絡んでいると思います。

特に「まだまだ頑張ろう!」と思っている方なら、なおさらですよね。

こう考えると、手放したくない気持ちはとてもよくわかります。

 

しかし、実際に事故になってしまう方がもっともっと大変です。

では自主返納をした方が良い高齢者ドライバーの方に、どのように接し話をしたらよいでしょうか。

 

明日は、接し方、説得の仕方?について考えてみたいと思います。